こんにちは、merry lab.中の人まー(@okabu50mar)です。
コロナ禍で県外や遠出がなかなか難しかったお盆休み中のとある日。
ふと思い立って、パパと戸隠神社の奥社へ行ってきました!
戸隠神社といえば、世界が暗闇に包まれた岩戸
天岩戸の話は知っていたけどまさか戸隠が舞台だったとはー!
きっかけはYouTube(笑)
思い立ったきっかけは
『羽賀ヒカル 神社チャンネル』というYouTubeチャンネル。
以前から内容に興味があって観ているチャンネルです。
神社とか神仏関係というと歳の人を思い浮かべるけど
ヒカルさん、若くてなかなかのイケメン!(笑)
トークもテンポよくわかりやすく解説されているのでつい聞き入ってしまうほど。
一見、神仏に関係なさそうなコロナや気象関係、政治の世界の話もあるけど
きっとどこかで繋がっているんだと思います。
そんなチャンネルで、どうやら戸隠神社へ団体参拝する企画があるらしく
紹介しているのを観て
「だったらわたし県内だし自分で行けるじゃん!」
と思ったのがきっかけ。
もともと神社や仏閣に興味があったし
(何を隠そう御朱印帳は神社とお寺を分けて二冊持ってるほど)
なんなら、戸隠神社は前から1度は行ってみたかった場所。
なんとなく、「今日行かなかったら後悔する!(気がする!)」
と思ったらいてもたってもいられなくなったんですねぇ。
戸隠神社が呼んでるんだ・・・だからウォーキングがてら行くんだ!
でも、息子は早朝寝起きの唐突な提案に首を縦に振ることはなく(-∀-`; )
パパにウォーキングがてら行こうと思うと話したら一緒に行くことになり
ラフな感じでお参りウォーキングを決めたのでした。
さて。
そんなラフな感じで出発して到着したわけですが。
ここで、疑問が出てきましたね。
何故ウォーキングを兼ねてなのか。
実は戸隠神社の奥社は駐車場から降りてすぐに神殿があるわけではありません。
参道は
なんと片道2キロ!

行きは途中にある随神門まではゆるやかに続く坂道だけど
そこをくぐると無言になるほどのハードな坂道と
いつまで続くのかわからない階段が待ち構えています。
両親から話には聞いていたけど、行くまでこの険しさはわかりませんでした。
それでも辛い思いをしてでも行く意味は戸隠神社の奥社にはあるんです。
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏習合のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
その昔はお寺だったんだねぇ・・・。
行けばわかる・・・登山級の参道
山門をくぐった先は、一気に空気が変わるのがわかります。

左右に広がる杉並木…。
流れるキレイな小川。
きっとテレビや雑誌で見た事がある人もいるかもしれません。

この杉並木は天然記念物に指定されています。
中には御神木も。

ああ・・・清々しいなぁ・・・
このヒンヤリ感たまらんなぁ・・・
このへんあたりまではまだまだ足取りも軽く心にも身体にも余裕があります。

この時はまだこの先に待ち構える長くて険しい道のりになるなんて
思ってもいなかったので”超”余裕の笑顔で写真撮っていました(;´Д`)
ここからしばらく歩くと、いよいよ登山かと思うほどの階段が続きます。
(多分300段ないくらい・・・多分・・・)
しかも、整備された歩道ではないのでそうとう足腰に来ます。
気づけば、そうとう後ろを歩いていたはずのパパに追い越されていました。
階段が憎いほど、いや、自分のペース配分のせいなんだけど
もう気力だけでのぼるわたし。
『がんばれ・・・がんばれ、まー!もう少しで神様に会える・・・』
参拝を終えて帰ってくる人たちの笑顔が憎い・・・っ!
聞こえてくるのは自分の荒い呼吸と鳥の声。
もはや自分との闘いだ!と勝手に闘志を燃やし
やっとの思いで登り切り天の岩戸を開いて戸隠へ投げた
天野手力雄命(
(前編完)